政治局員セルゲイ・キーロフの暗殺

スターリンは政治的、イデオロギー的反対者、ボリシェヴィキ中央委員会の古参党員を策略によって逮捕、追放した。

1934年1月の第17回党議会においては過半数の代議員が彼の言いなりであった。

見せしめの裁判あるいはトロツキーやレニングラードの政治局員セルゲイ・キーロフの暗殺の後に法律を改定し、強制収容所への収監と処刑が行われた。

キーロフは政治局員であり党エリートであり、その弁舌と貧困層への真摯な態度で大きな人気があった。

彼はスターリンの忠実な部下であったが、いくつかの意見の相違もあり、多くの歴史家がスターリンは彼を潜在的な脅威として考えていたとする。

実際、一部の党員は、スターリンの後継者としてキーロフに対し秘密裏にアプローチを行っていた。

1934年12月1日にキーロフは、レオニード・ニコラエフという青年によって暗殺された。

ニコラエフは、スターリンの命令によって暗殺を実行した刺客と考えられている。

キーロフの暗殺は、1936年から1938年まで続くことになる「大粛清」の前兆であった。
update:2010年02月26日